May 15, 2011
クレジットカードの上手な利用
誰もが一枚持っている"クレジットカード"です。現金がなくてもお買い物をすることができます。自分の収入や持っている範囲に限られた利用には問題がありません。しかし、残念なことに気が大きくなってしまう、残りすぎてしまう人もいるのです。最後は自分が辛い思いをしてしまいます。クレジットカードがサポートしていないお店があることを頭に入れておきましょう。私は都内のオフィスビルのテナントに勤務していました。その際、比較的新しい近代的な建物だったので、すべて従業員のIDカードを持たされています。私はそう言わなかったのですが、これまでにIDカードを持っている職場に勤務することはできません。最初に持たさして何かが特別なことはないのですが、仕事ができる人間になったような最先端の建物で仕事をしているような優越感がありました。
ロッテが“西岡2世”の大物高校生に密着マークだ。来秋ドラフトの上位候補に、東海大甲府の高橋周平内野手(2年)をリストアップしていることが2日、分かった。高校通算45本塁打の大型遊撃手について球団幹部は、「いいショートですから、興味を持って見ている。当然、候補に入ってくる」と熱視線を送っている。
今季フルイニング出場で首位打者、最多安打を獲得した西岡が今オフ、ポスティングシステム(入札制度)で米大リーグ・ツインズに移籍。将来性豊かな遊撃手の獲得は、球団の補強ポイントに合致する。球団幹部は「どこの球団にしたって、(リストに)入ってくるいい選手」と説明。昨年12月中旬にも、永野チーフスカウトが練習視察するほど高く評価している。
高橋は1年夏から4番で、甲子園出場こそないが、高校生の野手ではトップクラスの実力を誇る。東海大甲府・村中秀人監督(52)は「同じ時期で比べたら、森野(現中日)よりも上」と絶賛。東海大相模での監督時代の教え子を上回る素質に太鼓判を押すほどだ。
今季の正遊撃手の座は、外野から転向に意欲を見せる荻野貴、6年目の細谷らが争う見込みだ。石川球団運営本部長は「ショートは育ててつくっていかなくちゃいけないポジション」と若手の育成を重視しており、“金の卵”は魅力的な存在だ。可能性を秘めた逸材を追い求め、希望の進路を含めて調査を進めていく。
◆高橋 周平(たかはし・しゅうへい)1994年1月18日、神奈川・藤沢市生まれ。16歳。小学1年から善行野球スポーツ少年団で野球を始める。中学時代はボーイズリーグ・湘南クラブ所属。「4番・三塁」で出場した2年時に全国大会優勝。3年時は3位。東海大甲府では1年春に5番、夏以降は4番を務める。180センチ、83キロ。右投左打。
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阪神のドラフト3位・中谷将大捕手(福岡工大城東高)が2日、福岡県小郡市立のぞみが丘小学校の体育館で自主トレを公開した。雪のためグラウンドが使用できず室内での練習となったが、ランニングや高校のチームメートとのキャッチボールなどで汗を流した。ルーキーイヤーに向けて「不安も大きいけど、期待も大きい。自分の力がどこまで通用するか楽しみ」とプロの舞台に思いをはせていた。
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【飛翔!2011】
昨年のプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクから1位指名を受けた習志野高の山下斐紹(あやつぐ)選手。あこがれのプロ野球選手として飛躍する平成23年。山下選手のこれまでの野球人生での苦労や喜び、そしてプロへ向けての決意などを聞いた。(島田清)
平成22年10月28日。野球部グラウンド脇の合宿所の一室で、母親の真弓さん(49)、兄の貴将さん(22)とともにその時を待った。だが、狭い一室の小さなテレビ画面は兄や母親の体と重なり、実はソフトバンクが単独指名したという映像は見えなかった。
「音声だけは聞こえてきて、びっくりしました。まさか1位だなんて。指名されるかどうかも不安だったし…。うれしさはありましたが、すぐには実感はわかなかった。でも時間がたつにつれて、重圧みたいなものも感じるようになりました。『期待されているんだな』と」
野球を始めたのは、近所の野球チームに所属していた4歳年上の兄の影響からだ。小学校入学前から一緒にキャッチボールを繰り返した。「お前、なかなかやるな」。そんな兄の言葉につられるように、小学校入学後、チームに仲間入りした。
「でも全然うまくなかったんです。ずっと投手をやっていたんですけど、あまり成績は残せなかった。それでも仲間たちとプレーする野球は楽しかった。やめる気はしませんでした。今の自分があるのも当時の気持ちがあったからかもしれません」
中学時代はシニアチームに入り、硬球に親しんだ。外野手を中心にプレーしていたが、やはり良い結果は出せなかった。そんな山下少年の才能が開花したのは高校入学後だ。高校球界が私学中心となりつつある中、『練習内容が深い』という周囲のアドバイスを受け、公立の名門、習志野進学を決心した。
「“扇の要”でもある捕手に転向し、練習は厳しく、辛かったけれども、自然と気持ちが入りました。1年生の時からベンチに入れてもらえたことで、自信は徐々に深まっていきました。2年の春にレギュラーとしてセンバツに出場できたことも大きく、そこから『プロ』という言葉が頭の中をよぎるようになった」
だが、主将を任されるようになった2年の秋の県大会。挫折感を味わう。センバツのメンバーが多く残り、優勝候補の筆頭と目されながらも、3回戦で東海大望洋に1−5で敗退。この屈辱をバネに、弱かったという自らの打撃力を強化した。高校通算35本塁打のうち、25本は年が明けた3年春からのものだった。
「あの時、気を抜いていたわけじゃないんだけど、負けて恥ずかしかった。主将としてチームを結束させ、弱いといわれていた自分の打撃も、フォームを改造しながら強化に明け暮れた」
走攻守に磨きをかけ、春の県大会を制し、関東大会でも準優勝。最後の夏の大会では甲子園出場は果たせなかったものの、大活躍。複数のプロ球団が注目するなか、マリンスタジアムで2本の本塁打を放つなど、打率6割超という結果を残した。
「いいチームだと思っていた球団に指名されて良かった。打撃には自信がついたけど、捕手というポジションは簡単なものではないので、投手たちの球を受けながら、プロの投球をコツコツと学んで上を目指す。『1位でとっただけはある』といわれるように精進していきたい」
期待に胸を膨らませる18歳の少年は、プロの道に羽ばたくべく、8日、福岡へと飛び立つ。
■やました・あやつぐ
平成4年11月16日、札幌市生まれ。5歳のころ家族とともに千葉市に移り住む。6歳から野球に親しみ、中学では千葉西シニアチームに所属。外野手などを経験。習志野高進学後は本格的に捕手に転向、遠投115メートルの強肩を誇る。2年春にセンバツ出場。3年夏は県大会で2本塁打を含む16打数10安打をマークした。
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